ジョニー・デップ主演「MINAMATA ー ミナマタ ー」
2021-09-30


1975年にアメリカで出版され、1980年に日本語版が発売された、ユージン・スミス、アイリーン・美緒子・ スミス共著の写真集「MINAMATA」 (邦題「写真集 水俣」)。
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「水俣病」は、化学工場から海や河川に排出されたメチル水銀化合物を、魚、エビ、カニ、貝などの魚介類が直接エラや消化管から吸収して、 あるいは食物連鎖を通じて体内に高濃度に蓄積し、これを日常的にたくさん食べた住民の間に発生した中毒性の神経疾患です。

熊本県・水俣湾周辺の水俣病については、1956年(昭和31年)5月に、初めて患者の発生が報告され、1968年(昭和43年)9月、厚生省(当時)は、水俣病の原因物質を「チッソ水俣工場」の廃液に含まれたメチル水銀化合物であると認定しました。
だが、時は遅く、1930年代前半から操業を開始している工場から排出され続けた廃液に含まれるメチル水銀は魚介類の体内に高い濃度で蓄積し、それを食べる多くの人たちの体をも蝕んでいました。

ユージン・スミスと、のち妻となるアイリーン・美緒子・スミス(アイリーン・スプレイグ)は、1971年(昭和46年)8月に来日し、1974年10月までの3年間、ともにチッソが引き起こした水俣病と、水俣で生きる患者たち、胎児性水俣病患者とその家族などの取材・撮影を行っています。
アメリカへ戻ったユージン・スミスは、チッソ社員からの暴行の後遺症による神経障害と視力低下により、カメラのシャッターを切ることもピントを合わせることもできなくなっていましたが、そのことを遠因とする脳溢血の発作で1978年に59歳の若さで亡くなりました。
「MINAMATA」は、ユージン・スミス最後の写真集となってしまいました。

9月23日(木・祝)から公開されている映画「MINAMATA - ミナマタ - 」は、ジョニー・デップが制作・主演を務め、水俣病の存在を世界に知らしめた写真家ユージン・スミスとアイリーン・美緒子・スミスの写真集「MINAMATA」を題材に描いた伝記ドラマです。
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主演のジョニー・デップは俳優としてこれまでの作品での独特のオーラを封印し、苦悩の末アルコール依存症におぼれる偉大なるフォトジャーナリスト、ユージン・スミスそのものになりきった演技が私たちの心を打ちます。

ただ、現在でも水俣の人たちの心は揺れ動いており、アイリーン・美緒子・スミスも「この映画はドラマだし、実際に生きた人にとっては複雑な気持ちがあります」と述べる一方、「患者さんの苦しみと闘いの素晴らしさが世の中に知られていくこと、そしてユージンのジャーナリストの信念が話題になっていくことは非常に嬉しく思います」とも語っています。

アイリーン・美緒子・スミスは、アメリカ人の父親と日本人の母親をもつアメリカ国籍ですが、現在は京都に在住し、環境ジャーナリストとして活躍しています。(1950年・東京生まれ)


この映画を見て、
福島第一原発事故による放射性物質の排出、隠蔽、増え続ける処理水の海洋放出。

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