岡本太郎記念館の庭
2022-05-13


1998年5月、岡本太郎が戦後42年にわたって住まい、作品をつくりつづけた南青山のアトリエが「岡本太郎記念館」として公開されました。
館内では定期的に企画展が開催され、企画に沿った作品が展示されますが、庭に常設展示してある彫刻作品は植物に埋もれて、常に自然の中に溶け込んでいます。

「芸術は太陽と同じだ。太陽は熱も光も、無限に与える。日なたぼっこしても、“おい、あったかかったろう。じゃ、いくら寄越せ”なんて、手を差し出したりしないだろ?」
芸術とは太陽のようなもの。岡本太郎はそう考えていました。根底にあったのは「芸術は民衆のもの」という信念です。
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《若い太陽》 1980年代後半

「芸術は一握りのスノッブや金持ちのものじゃない。さまざまな矛盾や困難と闘いながら毎日を生きる平凡な民衆のものであり、そうしたなんでもない暮らしの中でこそ生かされるべきなんだ」という芸術思想から、岡本太郎は数々のパブリックアートを制作しています。

この「庭」は、そんな岡本太郎の美意識を伝えるための重要なメディアとしての存在であり、私はここに来るとなぜか安心感に包まれて、新しいパワーが湧いてくるのです。

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《河童像》 1981年

特に手が加えられていない「庭」は、バショウ(芭蕉)やシダ類、雑草が自然のままに生い茂っています。
そのなかに放り出されたように展示されている作品は、植物たちと渾然一体となり調和がとれています。
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この彫刻(↓)は《めばえ》という作品で、大型レジャー施設のモニュメントとして高さ120mの規模で計画されていたものの原型(1991年)です。施設の建設は実現しませんでした。
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バショウ(芭蕉)には花と、バナナのような形をした未熟な実がついています。下の写真はアップにしてみました。
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《歓喜》(1965年) は、お寺の梵鐘を依頼されて作ったものです。叩く場所で音の響きが違うといいます。
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《犬の植木鉢》(1955年) には、植木鉢というより、自然にシダ類が生えています。
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《エラン》(1976年) エランは、フランス語で躍動を意味します。
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現在、川崎市岡本太郎美術館のシンボルとなっている高さ約30mの《母の塔》の原型(部分)です。(1971年)
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